連載コラム「野性の思考、志向、嗜好」やります

Vol.1


2015年、それまでの勤務地であった名古屋を離れ、群馬の最奥地、水上に帰ってきた。


選択に迷いはなかったが少々の不安は感じていた。

組織の一員として働いてきた自分は個人で仕事を獲得し、利益を生み出すことが出来るのか。

何より、都市圏から離れることは障害とならないか。

この地で育ったが記憶している暮らし方はあまりに乏しく、今の自分とのつながりを見出せるほどではない。


だが半年ほどこの地で暮らして、その不安は消えた。

漠然と抱いていた、日本の地方、いわゆる「田舎」に暮らすことのwork&lifeイメージは、はっきり塗り替えられた。

そうすると逆に中央、もとい「都会」で暮らす必要性を感じなくなってきている。



ー惰性的に都会を目指すことへの疑問ー


一つには、この大自然が持つ効用、特に美しさだ。



何故これをわざわざ捨てて生活する必要があるのだろう?今の自分にはどこにも無い、と感じている。


人間は自然を美しいと感じることが出来る。

​自然の中での暮らしが生む、社会的多様性も日本の田舎にはまだある。


もう一つは、古来あらゆる社会が備えた「中央"Centerland(センターランド)"と辺境"Hinterland(ヒンターランド)"」という概念に絡む問題だ。ある一定の秩序で統合された状態の社会には、センターが存在し、ヒト・モノ・カネ・情報・サービスはセンターに集約してくる。センターにいれば集約してくる富や機会の恩恵を期待できる訳だが、では反対に位置するヒンターランドでは期待できないのか。


今、鼻先3mの範囲内にひのき、カエデ、その他草木が生い茂った環境の中でこの文章を書いている。この家は林の中にある。隣の家は、1km以上離れた場所にある。いわゆる山奥の家だ。それでもAmazonは届くし、ネットのおかげで地球の裏側に暮らす友人とビデオ通話もできる。かつてはテレビも映らず、郵便配達さえサービス外だったこの奥地で。ヒンターランドにおけるヒト・モノ・カネ・情報へのアクセス性は、飛躍的に向上した。



ー自発的なヒンター選択の一助にー

こういった観点から、ヒトが惰性的にセンターを指向する必要性は今後、益々薄れていくのではないかという仮説が自分の中にある。生活のためにセンターに身を置く必要性が低下すればするほど、ヒンターに息づく自然や、こまやかな生活を自分のものとする可能性が、多くの人に広がる。そうなれば素晴らしいことだと思う。しかしセンターを目指す必要が無いことが即ち自発的にヒンターを指向することにつながるかといえば、それは難しいとも思う。また多くの場合、田舎の自発性は想像力と生産力を要求してくる。サービスを期待して、受け身の存在として暮らしても、ヒンターの素晴らしさは味わいつくせないだろう。


まわりくどい書き方になるが、

1.自発的にセンターを選択

2.惰性的にセンターを選択

3.自発的にヒンターを選択

4.惰性的にヒンターを選択

現代日本で生活する上で、ライフスタイルを敢えて「センター/ヒンター」の文脈に落とし込めば、4分類で考えることは可能だ。これは人が暮らす上で「都会」にも「地方」にもそれぞれ2通りの姿が存在することを示唆していると思う。良い悪いを評価するのではなく、自発的に選ぶヒンター暮らしの背景に何があるかを明らかに出来ないかと考えている。



ー山暮らしで見つける、3つの「野性のシコウ」ー

本コラムでは3つの「シコウ」軸にトピックを切り分けて書いていきたい。


①野性の思考

大学時代にそんなタイトルの本を読んだ記憶はないか。パクリではなくリスペクト。

 明らかに、サラリーマンだったころの自分とは色々な点で考え方が変わった。正確には変わったというか、増えた。


②野性の志向

少し真面目に。ソーシャルイシューとしてとらえ直す、みなかみでの暮らし、地域の資源。自分の活動も含め、ヒト、モノ、コトをピックアップして、ミッション(使命)とパッション(情熱)にフォーカスしていきたい。


③野性の嗜好

上記二つが結構堅苦しいので、山暮らしの楽しい部分、特に食や健康維持などにフォーカスしていきたいと思う。



次回乞うご期待。