【連載エッセイVol.2】一滴目の音

 「夜明けの足音」 


 新型コロナウイルスが世界を覆っている渦中。誰もが過去の生活を変化させざるを得ない状況となった今、僕も新しい生活様式が一つ生まれた。

 朝の散歩が日課になった。

 実になんでもないことかもしれない。でも、そんななんでもないことがなんて感情を揺さぶるひと時となるのだろうと、散歩するたびに新鮮な気持ちにさせられる。

 闇夜から暁光に包まれる朝へと移り変わる時間には、1日の始まりを告げる鮮やかな光景と、それらを彩る特別な音が満ち満ちていた。 



 きっかけは、昨年末の暮れ。特に理由があったわけでもない。なんとなく早く起きた。二度寝するにも中途半端な時間で、布団から這い上がれるぐらいには意識が充足されたので、思い切って起きてみた。


 朝の気温は何度ぐらいだろう?


 出勤時の道路状況の予測を立てるために、防寒着を羽織って玄関を開けた。外はまだ日が昇っていなく、夜空が色素を薄めて明度を上げた群青へと変わり始めたところだった。庭の枯れた草木たちも地面も、一面が夜明け前の薄光の中で白く輝いている。

 見事に凍結した光景を見た感想は、普段なら「げぇ…」だっただろう。しかしなぜかこの時は、「…おや?」だった。なんだか、いつも見ている景色が、随分と新鮮に映った。

 防寒着の上から突き刺さる冷気を意にも解さず、澄んだ空気に誘われて、家の外へと足が進んでいった。


 一歩踏み出した外は、静寂に包まれていた。遠方から微かに鳥の声が聞こえるぐらいで、それ以外は耳が機能を忘れたのかと思うほどの静けさだった。

 歩みを進めた先は、日中のいつもの散歩コースだった。裏の畑の畦道を抜け、緩い斜面に広がる田園を横切り、鎮座している山の方へ。この辺りはみなかみ町の中ではかなり開けたところで、このコースを歩くと視界を遮るものはない。数ヶ月前まで活気に満ちた田畑も今は休眠しているから、なおさらだだっ広く感じる。空の青みがさらに薄まり、段々に白んできた。まだらに浮かぶ雲も、徐々に色づき始めている。前方に座している山はどっしりと構えたまま、そこにある。そして、北を見れば谷川連峰の万太郎山、仙ノ倉山、平標が、仄暗さの中に白亜の輪郭をくっきりと浮かび上がらせて、凛々しく聳え立っている。


 心地よい。


 まだ覚醒しきれていない頭が、感性が揺さぶられることで徐々に目を覚ましてくる。仄暗さがまだかき消されていない風景、淡い光に彩られたいつもの景色。起きているけど夢から醒めず微睡んでいる時の心地よさの中にいるようだ。

 しかし、その時に耳にしたものは、間違いなく現実であることを告げる音であった。

 ザクザクザクザク…

 肉薄するほどに、とても力強く、鼓膜を叩く。

 凍てついた畦道の土を踏み砕く、自分の足音だった。

 しかし、こんなに鮮やかに響くものなのか。普段歩いている時には意にも介さなかった足音が、実に生々しく、立体的に聞こえる。



 そう感じ取ったら、周りにすごく豊かな音の空間が広がっていることに気がついた。

 自分の歩く足音を起点に、

 少し手前の畑に群がるカラス達の会話、

 上空を飛び交う小鳥の囀り、

 右側およそ100mぐらい先にある民家から犬のけたたましい吠える声、

 前方に見える犬の散歩をしている親子の内容までは聞き取れない会話、

 畦道を抜けて舗装路になったら硬い靴音、

 道を曲がった先にあるせせらぎを流れる水、

 ふっと吹いてきた耳を掠める風、

 背後のずっと遠くの通りを急ぐ車の走行…

 ものすごく巨大な静寂を背景にして、様々な音が飛び交っている。

 実に、心地よい。

 遠くの音も近くの音も生き生きとした音像で耳に入ってきて、空間的な音の重なりが広範囲にわたって響き合う。

 朝は空気が澄んでいるからか、人や生き物が眠っていて生物の営みの音が少ないからか、まだ覚醒しきっていない脳が過敏に音を受容しているからか、はたまたそれら全部か…よくわからないが、この朝のサウンドスケープはとても安らぎを与えてくれて、自分が今地に足をつけて生きていることを教えてくれるようだ。

 音の海の中を泳いでいたら、いつのまにか山際の麓近くまできていた。しらんだ空が茜色に、そして東の空から鮮烈な橙の光が届けられてきた。

 この地区では、東の空に当たる場所は赤城山。朝日に照らされてその名の通り真っ赤に染め上がっていた。その少し左側から、ゆっくりと、太陽が昇ってきた。立ち止まり、周囲が奏でる自然音を挿入歌として聞きながら、神々しい日の出にしばし見惚れていた。

 夜が明けた。

 すっかり忘れていた寒さが、立ち止まっていたらいつの間にか防寒具越しに侵入してきていて、慌てて家路へ歩き出した。左右に広がる田んぼ道を抜け、りんご園の木々を横切り、神社の方へ。帰り道は、だいたいいつも来た道以外を通る。薄闇に包まれていた景色は、すっかり朝日の橙色に染まっていた。ふと北の山々を見ると、白亜の谷川連峰も真っ赤に染まっていた。

 近くの里山の風景、背後に見える谷川連峰、日が昇ってくる赤城山。この地域は、山に抱かれているんだなと改めて思わされた。その山の景色が、朝日を受けて様々な表情をみせてくれる。

 なんだか、妙に安心する。

 コツコツコツ…と、アスファルトを歩く足音を聞きながら、そんなことを考えてみた。神社を過ぎて、通りの道に出た。朝日が通りを貫いて、輝きに満たされていた。

 と、ここでアラームが鳴る。今が出勤30分前であることを告げられる。

 習慣で、毎朝聞いているラジオをつける。

 安らぎの自然音は聞こえなくなり、お馴染みのBGMに乗せてお馴染みのパーソナリティーから今日のニュースが届けられた。

 朝が来た。

 瞬く間に意識のスイッチが変わって現実に戻る。途端に今日の仕事の段取りを考えだし、ラジオのニュースについて、歩きながら私見を頭で回らせている。あまり明るくない話ばかりに軽くため息をついて、玄関のドアを開けた。

 朝食を取り、準備を済ませて出勤するために再びドアを開けると、すっかりいつもの朝だった。日差しは色彩を弱めて明るさを増し、暖気している車のエンジン音や先に通りを駆ける車の音が聞こえてきて、他の音はあまり耳に入ってこない。

 なんとなく一抹の寂しさは込み上げてくる。だが、気力はとても充足されている。散歩の時間に見た景色、浸っていた音の数々が自分の中で咀嚼され、活力を与えてくれているようだ。

 軽く息を吐いて、仕事へと向かった。


 こんな朝の散歩体験をしてからというもの、短い時間でもなるべく毎日朝の散歩を満喫するようになった。朝見られる光景は、毎日変わる。天気や雲の量だけでなく、映る色彩も変わってくるのだ。風景の先の先までクリアに見通せる時もあれば、少し靄がかかっててパステル調にみえることもあり、日の出もドラマチックな光線が輝く日もあれば、キラキラッと明るくなったかと思ったらいきなりひょっこり頭を出す日もある。

 もちろん、歩いている時に聞こえてくる周りの音だって、状況が変わるので毎日違う。犬の鳴き声が聞こえない日もあるし、カラス達が大人しい時もあれば大音量で喧嘩をしている時もある。畦道にできた水溜りの薄氷をパリッと割った音を聞いて童心にちょびっと帰れる時もあれば、風が強くて周りの音がかき消されてしまう時だってある。

 それでも、足音は毎日変わらない。

 自分の足音なんて普段全く気にも止めないのに、朝の時間だけは妙に自分に響いてくる。聞いていると、なんだか、周りがどう変化しようとも自分は自分だ、そう主張しているようで、自分は今ここにいて自分は意思を持って存在していると、しっかり認識できるような、そんな気持ちになる。

 朝の散歩をしていると、月並みだけど、どんなに暗く寒い夜でも、明るい朝はやってくるんだなと、実感できる。

 苦しい時代だけど、この闇もきっと晴れる。

 なんとなく、だけどちょっと確信を持ったつもりで、そう前向きに思えるようになってくる。朝に交わされるたくさんの音の中で、一番はっきりと、力強く聞こえてくる自分の足音が、そんな気持ちにさせてくれるのだ。

 今日も元気だ。自然とそうに思わせてくれる。


 今体験しているのは、冬の朝。最近は日の出の時間も気持ち早くなってきていて、日差しの輝きもだんだん柔和になってきている気がする。もう春の気配もすぐそばまできている。

 しばらくしたら、外が凍てつく日も減ってくるだろう。やがて地面には草花が茂りだし、がらんとした田畑にも作物が植えられ、山々も芽吹きの時を迎える。春がやってくる。

 季節が変われば、景色も変わる。季節が変われば、生き物の営みも変わる。朝に響く様々な音も、がらっと変わるだろう。

 そこはどんな朝が繰り広げられているのか、聞こえてくる音はどんな音なのか。

 思いを巡らせつつ、その時でもきっと変わっていないであろう足音を聞きながら、今日も淡い日差しに包まれて山の方へと歩いていった。