【連載エッセイVol.3】一滴目の音

 「桜の便りは風に乗って 


  今年もみなかみ町に桜の便りがやってきた。

 気候の違いがあるため、都心や関東南部で桜の話題が盛り上がってからおよそ2,3週間すると、こちらで桜が咲くようになる。その頃には報道を賑わす桜の開花情報は終盤で、都心や関東南部ではもうすっかり散ってしまっていることが多く、ちょうど入れ替わる形でこちらに桜前線が到達する。

 新治地区の赤谷湖畔にある、桜並木。

 ここの桜が咲くと、季節が完全に冬から春へと移り変わったことを感じる。



 赤谷湖は小さいながらもとても印象的なダム湖だ。国道17号を月夜野・沼田方面から北上していくとだんだんと景色に占める山の割合が多くなり、いつの間にやら山に囲まれているようになる。そこで赤谷湖に差し掛かると、急にパッと視界が開けた印象になりなんだかホッとする。いつもゆったりと水をたたえている姿が、なおのことそう感じさせてくれる。

 南側の桜並木から赤谷湖を望むと、対岸に猿ヶ京温泉とその奥に雄大な谷川連邦が映る。穏やかな湖面と、猿ヶ京温泉の景色と、ダイナミックな谷川連峰が一堂に会し、実に絵画的な景色だ。これからの雪解けのシーズンは赤谷湖の水量が満ち満ちていて、より一層清々しくなる。

 そんなロケーションだから、桜並木の方はとても風がよく抜ける。

 穏やかで他では風も吹かないような日でも、桜の枝葉を揺らしてカサカサと鳴らしていることが多い。春先はまだ北風が強い日が多く、桜が咲いてから見にいくといつも花を抱えた枝が風に煽られていて、さながら桜が踊っているように見える。ざわざわと音を立てて花が揺れていて、春が訪れた喜びを全身で表現しているようで、不意に笑みがこぼれ落ちてしまう。と同時に、ビュービュー吹き荒れる強風に耐え忍び、花をなんとか維持しようとしているようにも見えて、なんだかいじらしくもちょっとハラハラする時もあったりする。

 桜並木から湖面を見下ろすと、強風の時は雪解け水で満水になっている水面が波打つ。海なし県民の心をどうしてもくすぐってくる波の音。強風で煽られていても、岸辺に寄せる波はさざ波で、状況に比べると不釣り合いな感じがしてなんだか可笑しい。湖の柵から少し身を乗り出し、強風を堪えながらチャプチャプ鳴る波音を聞いてみる。すると、背後でざわざわ鳴いている湖面に立たされた桜たちの気持ちがちょっとわかったような気になってみれたり。

 赤谷湖の湖畔は、自分にとってはとても落ち着く場所の一つで、心身を調律するためによく歩きにいく。

 湖はどの季節に行ってもその季節にしかない自然の美しさが、その時々の音色を纏って佇んでいる。いつが一番良いとか、決めてしまうのは粋じゃないな、とは思う。しかし、並木の桜が花をつけている時はやはり他の季節とは事情が違うように思ってしまう。

 というのも、実は自分にとっては特別な事情を孕んでいるということもあったりするのだ。

 桜は象徴的な植物だ。

 咲いては始まり、散っては終わり。

 昔、この場所から、僕に桜の便りが届いた。それが、今自分がこの町に戻ってくるきっかけとなった。

 大学3年生の時だったから、もう十数年も前のことだ。都内にある大学に通い、東京に住んでいた。強い志を持って入った大学ではなかったが、自分なりにキャンパスライフを謳歌していた。通っていた大学のキャンパスの前は、最寄駅からずっと桜並木が続いている桜の名所だった。上京してから初めてキャンパスへ向かった時、ちょうど満開で、美しい桜の光景とそこに賑わう花見客の量の多さに圧倒されたのを今でも鮮明に覚えている。

 大学生活は充実していたか、と問われると、正直半々だったような。これを学びたい、という学問があったわけでもなかったし、サークル活動に熱心だったわけでもない。でも、いくつかのサークル活動に顔を出させてもらっていて、居場所はあった。

 でも、大学生活は楽しかったか、と問われると、前半後半ではっきりと分かれる。

 1、2年生の時は楽園のようだった。ドラマや小説に映っているようなきらびやかなキャンパスライフとは全く縁はなく、昭和の残滓の中をうごうごと蠢くような実に煌めきのない泥臭い学生生活を送っていた。なかなか拗れたキャンパスライフではあったが、もともと中学・高校と周りとの価値観や感性の違いに押しつぶされそうになっていた僕にとっては、ようやく理解しあえる仲間と出会えて安心して自分を出せる場所に辿り着くことができたという感慨でいっぱいだった。拠り所とできる場所もあって、自分にとっては人生でも一番輝かしい時となった。

 では後半、3、4年生の時はどうだったかといえば、失望と絶望にのたうち回っていた。拠り所となっていた居場所が奪われたのだ。大学3年生の桜の季節は、業火に包まれて激しく焼かれるような、人生でも一番苦しんだ時期の一つとなっていた。

 何があったのかというと、大学生活をめぐる騒動の渦中に身を置かれることとなり、ある日突然、居場所となっていた場所が閉ざされた。そのことに関する有象無象の事情が竜巻のように巻き起こり、自分の大学生活の全てを吹き飛ばしてしまったのだ。

 場所が奪われ、抗えどどうしても覆せない争いが起こり、仲睦まじかった仲間同士は決裂し、果てはスパイ映画でも観ているのかと錯覚するほどの茫然自失となる裏切りを目の当たりにし…こうして文字に書き起こしていても本当に現実にあった出来事なのか…と疑いたくなるほどの狂騒が暴風となって吹き荒れた。

 そして、その問題を直視できない自分の無力さと不甲斐なさでボロボロになっていた。

 あれだけ浮き足立って通っていた桜並木ももはや足を引きずっていくほどに重々しく、キャンパスに一歩近づくたびに動悸が強く打つほどになってしまった。並木の桜は、もう散ってしまっていた。



 そんな状況下に置かれた4月下旬、キャンパスからの帰り道、メールが一通届いた。

 母からだった。



 何事かと思って開封すると、

 「元気にしていますか。こちらは赤谷湖の桜が咲きました」

 と、書いてあった。

 添付されていた写真には、夕日に照らされた満開の桜と、故郷の湖が映っていた。

 必要なやりとり以外普段は全く連絡を取り合っていなかったので、母は息子が阿鼻叫喚の最中にあることな


どもちろん露知らず、本当に、たまたま何気なく送ってきたのだろう。



 そのメールをみて、完全に決壊した。

 もう、帰ろう。

 散り終えた桜の帰り道で、涙を堪えることなく流し、そう心に決めた。

 電車の音や知りもしない数多の人々が打ち鳴らす雑踏の中にいるのに、湖畔の桜が揺れている音が聞こえてきた気がした。

 その後、抜け殻のようになって一年大学に通い、4年生になってからは単位がほとんど取れていたため実家から新幹線で通学した。狂騒の残火はまだ燻り続けていて、深い傷跡がついたままどころか拡大していっていたので、学生生活にはもう未練はなかった。

 東京での生活は、気に入ってはいた。大多数の中だと自分の個性は薄まり、その他大勢の中でいられるのは居心地良く感じていたので、戻ってきてからはしばらくこちらの生活が肌に合わずにいてクサクサしていた。しかし、それから数年もすると状況が変わり、こちらでも理解し合える仲間に大勢出逢え、今となってはみなかみに戻ってきて本当によかったと胸を張って言える。

 全てが必然だった、なんて思わないが、あの狂騒が起点となり、今のみなかみでの豊かな生活があるのは確か。そう飲み込むことで、あの時の悲しみ、苦しみ、失望、怒り、そしてそれらを抱えきれなかった当時の自分を赦すことができるのであれば、そう受け止めるのが正しい人生の選択なのかもしれない。




 赤谷湖の桜が散り始めると、花びらは湖面に降り注ぎゆらゆらとたゆたう。「花いかだ」とまではいかないが、花盛りを名残惜しむように湖岸を彩り、波のまにまに咲いている。

 毎年満開の時期に足を運んだ後に、花びらのさざ波を眺めにもう一度訪れる。風音と波音に身を委ねながら、自分が今、此処にいることをふと振り返ることもある。

 桜は散った後、葉を茂らせ、生長していく。よくよく考えてみると、花が散ったらおしまい、ではなく、花が散ってからが始まりなのだろう。

 東京での生活が散り、みなかみでの人生が再び始まった。ここにはもう、僕の居場所はたくさんある。


 今年も赤谷湖の満開の桜の下、風に吹かれながら、再認識するのであった。