【連載エッセイ】一滴目の音 Vol.6

真夏の夜に、蛍を探しに」


 夏だ。

 ギラギラしている。太陽も、虫も草木も、人も世の中も、みんなギラギラしている。

 僕が一番苦手なギラついた季節、到来である。

 灼熱の暑さ、焼き尽くす日光。苦手なのである。

 だから、夏は夜がくるのが待ち遠しい。

 夏のみなかみ町は日中と夜の気温差がとても大きい。高く伸びたひまわりもうな垂れるほどの暑さに見舞われる日でも、燃え盛る太陽が夕映えを落としていくあたりから汗がすっとひいてきて、鮮やかな夕映えが一番星を連れてくる頃になれば、火照りがふわっと散っていく。星が無数に輝き出すか、月が明るく星を隠す頃には涼やかな微風が吹いて、長い時間暑さに耐えた肌を優しくなでてくれる。

 夏の夜はこの大きな気温差が身体にも心にも強烈なカタルシスをもたらしてくれるため、他の季節の夜と比べて格別に解放的で、救済された感覚を与えてくれる。この気候がもたらす心地よさは、お金をいくら出しても買えない。地方に住んでいる特権だなぁとつくづく思う。



 日が暮れると、夜気に誘われてよく散歩に出かける。

 自動車や獣に存在を知らせるための反射板やライトを携行して、虫除けをばっちりきめて、靴を鳴らしててくてく歩く。街灯が人里の守衛さんのように佇み、橙色の明かりで道を照らす通りを抜け、山のお寺の方へ向かう。神域を守る巨木の陰の下、白色灯が紅の鳥居を冷たく照らす神社を横切り、民家が連なる場所を過ぎると、もう街灯もほとんどない田畑の領域に差し掛かる。田畑の方へと目を向ければ、そこは深い深い暗闇。遠方に向こう側の街灯が星に擬態して瞬いている。

 中心の通りとは違い、冷たい白色の街灯が照らす十字路に差し掛かったら、田んぼ道の方へ進んでいく。真っ暗で全く見えないが、昼間なら一面に水田が緩い傾斜の段になっていて、稲穂になる前の緑の稲が風に撫でられているのがずいぶん遠くまで見られる場所だ。

 暗いから、音がよく響く。歩きながら聞こえてくるのは、虫の音だ。春先から夜になると大音量で響いていたカエルの大合唱会は終演となっていて、代わりにそこここの茂みでは鈴虫やコオロギが甘い音色を奏でている。リーリーと響く歌声を味わいながら歩いていき、街灯の光も遠くに感じられるあたりになったら、ライトを消す。そして空へと目を向けると、空には埋め尽くすほどの星々が輝いている。ここから先は、星灯りを頼りに歩く。足元すら見えない遠い遠い灯りにつき、時折見上げながらゆっくりゆっくりと。

 こうやって歩いていて、夜の光景・音・空気に浸って深く呼吸すれば、昼間のギラギラも宵闇の中に散って見えなくなっていく。真夏の夜は束の間の穏やかさが心身を包んでくれる。

 本当に気持ちがいい。

 …しかし、なんだか寂しくも感じる。

 夏の夜には、もう蛍がいないからだ。

 歩きながら、空に輝く星々から暗闇に沈む水田やその畔に目を移す。稲や草花のシルエットだけが浮き上がり、その陰で虫が鳴いている。光は見えない。

僕の住む地域では、蛍は例年6月中旬から7月下旬あたりに飛んでいる。7月上旬の梅雨の終わりかけが最盛期となっていて、梅雨が明けて夏が到来した頃になると見られるのはほんの最初期だけ。蛍達は、夏のギラつきを見届けたら静かに灯りをフッと消していくように、いつの間にやら姿を見せなくなってしまう。

 歩をさらに緩め、また星々を見上げながら、一月前の夜をつらつらと思い出した。



 時は、燃え盛る夏が来る前の、低気圧が渦巻く梅雨。

 梅雨の夜は、夏の夜と打って変わってとても不快だ。ジメジメしてるしムシムシしてるし、雨がザブザブ降っていれば気が滅入るし、降っていなくても分厚い雲がズッシリとのしかかっていることが多くてなんだか気分がクサクサするし。夏の暑さは苦手な僕だが、梅雨の湿気は輪をかけて苦手なので、梅雨時は夏と同格かそれ以上に心身に堪える。

 だから、この時期にだけ現れる淡く微かな蛍光は、軋んだ心にポッと光を灯す一縷の救いとなってくれるのだ。

 梅雨の晴れ間の日、それまで降り続いた雨からようやく解放されて、束の間の散歩に出かけた。長雨に妨げられて見にいけなかった蛍を見に行こう。足は自然と、山際にあるこの辺りで一番蛍が住まう場所へと向かっていた。

 蛍が最も多く飛び出す時間帯は日没後すぐ。20時過ぎて、一年で最も長い昼が最も短い夜に入れ替わる合図を出すかのように、出現する。日が沈み、赤々と燃えるような夕焼け空を追いかけるように、田んぼ道をスタスタと歩いていった。

 目的地に着く頃には、茜色に染まっていた叢雲がいつのまにやら色を落として鈍色になり、ライトブルーの空は濃紺へと移ろっていた。ぽつらぽつらとカエル達が泣き出したかと思えば、気がつくと大合唱になり、景色が見えなくなってきた田んぼの方から、自分の足元の畦の中からゲロゲロゲコゲコ響き渡ってくる。サラサラと清涼感を誘う水路の流れを聞いていたところにカエルの声が重ねられたから、耳にはいささかラウドな音触だ。

 薄暗くなってきて、夜が降りてきた。わずかに残っていた日光の残滓が闇に飲み込まれていき、景色も自分の身体も、藍で染められたかのような群青に塗り変わってくる、そんな時。ぽぉ…っと、宵闇の中から小さな黄色い光がふよふよ浮遊し出した。突然、スイッチが入ったかのように、無数に。蛍は自由気ままに無軌道に飛び交い、明滅しながら軽やかに飛んでいる。

 ああ、綺麗だなぁ。

 毎年見る光景ながら、毎年新鮮な感動が押し寄せてくる。

 と、その時。不意に、音楽が聞こえてきた気がした。

 いつもの錯覚だ。

 蛍の光を眺めていると、なぜだろう、あれだけ響き渡っているカエルの声や水路の音は聞こえなくなり、代わりに、何故か美しい音楽が聞こえてくるような気がするのだ。ビオラや胡弓のような弦楽器で奏でられるような音色で、美しくもなんだか物悲しい、抒情的な旋律が。間違いなく僕の頭の中で奏でられる音楽なので、数秒で演奏は止まるのだが、いつもいつもこの錯覚に見舞われてしまう。

 なにか共感覚の一種なのだろうか?

 わからない。

 けど、なんだか、もっと聞いていたい。

 この聞こえるはずのない音楽を聴きたいというのも、蛍を見に行きたくなる衝動の一つなのかもしれない。

 よしなしごとを巡らせている最中も、蛍はピカピカキラキラと眩い光が飛び交っていた。自身へのくだらない疑問なんてポンと隅に追いやって、目の前の光の乱舞に見惚れた。

 BGMはいつの間にか、カエルと水路の清流が織りなすハーモニーに切り替わっていた。

 蛍光が舞い踊り、命を力強く鼓舞する音が高らかに響く、まるで祝宴のような光景。

 梅雨の夜の鬱屈をしばし忘れて、梅雨の終わりの夢のようなひとときに心浸した。


 そんなことをつらつら思い出してみると、家路に向かう予定を破棄して、蛍の群生地へと向かうことにした。踵を返さず、田んぼ道の奥の方へと直進する。道の左右に水面があるためか、歩いてきた通りの道よりさらに気温が低くなり、清涼な空気が肺を満たし、全身を包み込む。

 蛍って自分にとってなんだか特別な存在だよな。

 先月の回想を反芻しながら、ライトをつけずに田んぼ道を進んでいてふと思った。水田の向こうで瞬く街灯が、今度は蛍に擬態しているかのように見えてきた。

 子供の頃、小学生の低学年の時だったか、親と一緒に蛍を見に行っていたのをよく覚えている。あの頃は、今と比較にならないほど蛍がたくさんいた。子供の頃はどこの田んぼにも生息していたと記憶している。今よく見に行く山際の場所よりずっと手前にある、僕の家の田んぼの畔に見に行っていた。

 比較にならないほど、蛍がたくさんいた。今は10匹20匹飛んでいれば、今日はたくさん飛んでいたな、とホクホクになるぐらいだが、記憶に焼きつく蛍の光は、畦全体が光っているかのように映るほど夥しいものだった。空を見上げれば無数に星が輝き、天の川が流れている。畦に目を向ければ、まるで星空を模写しているかのように蛍が光を放っている。その情景をみて感激した胸の高鳴りを、今でもはっきりと覚えている。

 独り占めしたくて、よく虫かごに蛍を詰めて持ち帰った。その日は天球を両手の中に封じ込めたように輝いていたのだけど、翌日になると全く光り輝かなくなる。

 「なんだつまんないや」。毎年やらかして、そう思ってたっけ。

 子供は残酷である。今となっては重犯罪級の虐殺行為のようだが、当時はそれでもまったく影響がないぐらい、生息していたのである。農地の区画整理があったり、農薬の影響だったり、ややもすれば気候変動の結果だったり、原因ははっきりとはわからないのだが、今は数がめっきりと少なくなった。

 もうこの地域では、あれほどの蛍の群れを見られる日はこないのだろうか。どこかあの時の光景を追い求めていてしまっていて、毎年蛍の光を眺めて感激している時でも、同時に少し落胆する気持ちが心の片隅で蠢いてしまう。

 もう虫かごに詰め込んだりしないから、戻ってきておくれ。

 そう願っても、戻る気配は見受けられない。

 捕えられては命を散らしてきた無数の蛍火が、心の暗がりをブスブスと焦がしてくる。

 そうか。頭に響く旋律が物悲しいのは、だからなのか。


 ぐるぐるぐるぐる物思いに飲み込まれていたら道の脇に聳え立つ高圧線の鉄塔に気づかず、いきなり出てきたように見えて一瞬うおっ!とびっくりした。

 暗がりを歩いていると、物思いが過度に頭を駆け巡ってしまって、いけない。かぶりを振って、道の先を見た。川を渡る橋がうっすらと影だけ見え、川の流れが聞こえてくる。橋を渡って程なく行けば、蛍の住まう場所はもうすぐそこだ。

 蛍が群生する場所にたどり着いた。

 見えるのは、水田に覆い被さる夜の帷だけだった。

 蛍はやっぱりもういない。

 ただひたすら、山上まで暗闇が広がっているだけである。

 カエルの鳴き声ももうあまり聞こえない。代わりに、虫たちが涼しげな声を聞かせてくれている。水路の水の音は相変わらずだ。ただ、昼の暑さを洗い流してくれるようで清涼感は増大しているように感じた。

 なんとなく、お祭りが終わってしまった時のような、寂寞の感が込み上げてくる。

 もういないか。さみしいな。そう思う。

 だけど、もう、蛍の時期はとうに終わったんだ。逆に、改めて認識するのである。さっきまで頭をめぐっていた蛍光の揺らぎは、全部過去の残滓だ。目の前の深い闇が、淡い光も幻想も全部丸呑みにしてきた。

 また来年だな。

 さみしさはほどなくして蒸発した。

 さて帰るか。

 蛍の宴席会場に足を踏み入れもせず、来た道を引き返した。

 帰り道は、蛍の幻光は完全に消え、蛍のいない寂しさよりも夏の夜の心地よさにすっかり浸り切っていた。

 満天の星空を眺めているだけで夜空を夜間飛行をしているような、そんな気分になる。

 それぐらい、心が軽やかだ。真夏の夜は、爽やかで心地が良い。

 季節が巡れば、その特有の楽しみがやってくる。どんなにだだこねても、季節は巡る。後ろを振り返ってばっかりいたら、目の前にやってきた楽しみを見逃してしまう。自然に、気候に身を任せて、その時期の楽しみをいただくのが、まっとうな喜びなんだろうな。そんな風に感じた。 

 今は、夏の夜の楽しみを味わおう。

 歩いてきた田んぼ道を見上げたら、頭上の天の川がいやにくっきり見えた。

 なんとまあ、美しいのだろう。

 毎年見る光景ながら、毎年新鮮な感動が押し寄せてくる。

 ピカピカキラキラと盛大に瞬く星をうっとり見上げながら、ひんやりとした空気の中をゆっくり歩いて帰った。