top of page
Kengo.S

土合朝市とブランドパーパスについて


 2021年5月にはじめてDOAI VILLAGEと我々GENRYUで企画した第一回の「土合朝市」は予想を超える盛況さでお店は軒並み完売となり、ご来場された多くの方から好評をいただいた。思わぬ人出の多さで一部の場所で三密対策が追い付かなかったこと以外は運営も大成功であった。それは、事前にオンラインでのMTGを何度も重ね、実際に現地へ足を運び、意見やアイデアを出しあった出店者各位のお陰であり感謝の念でいっぱいである。


前回「土合朝市」の様子

夏の「土合朝市」は土合駅の少し先に聳える「谷川岳」の山開きと同日に開催予定だ。そのまま登山の携行食となる“ちまき”や“おにぎり”のテイクアウトのほか、その場で朝食として召し上がっていただける定食や軽食各種、今回から朝市らしさを添える新鮮野菜の出品もある。この土地ならではの雑貨や食品の販売もある。

また、山開き企画として土合駅発着で谷川連峰を臨む湯檜曽川周辺を歩くツアーも実施。ぜひ山開きの朝を楽しんでほしい。何度も同じことを言うけれども、山の朝は格別...。何度でも言います。



 

見出しで「ブランドパーパス」なんて小難しい言葉をあえて使ってみたのは、土合駅という山奥の無人駅で人を集めるイベントを企画しようと思った理由をこの機会に再考察して自分の頭の中も整理してみようと思い立ったからである。


まず、「ブランドパーパス」とはマーケティングの現場で昨今よく聞かれるようになった用語で「ブランドの(社会的な)存在意義や意味」といったニュアンスで使われている。業界人ぽくキメたい時は“そのブランドのパーパスは何かね?”と口にしてみるのがよいかと。


SDGsが他人ゴトではなくなった現在、機能的な価値だけを宣伝するのではモノが売れなくなった。その機能が便利で快適であることは大前提、加えて世の中や未来をこのモノ自体がどう良くしていくのか、社会的な価値の有無こそがマーケティングにおける最重要課題となっている。


「それに意味があるか?」ということが強く問われている。

続く言葉は for me ではなく for us である。


深読みすると物質的な豊かさの終焉を示していると言える。利便性や効率性のみを追求してつくられたモノが環境に負荷をかけ、自分たちの子供にツケを払わせるのだとしたら、どんなに便利でコスパもよくてセレブ御用達のモノであったとしても、消費者からNOを突き付けられる時代。それは消費経済の衰退ではなく成熟の機と捉えられる。そして地方にとってはチャンスであるとも。企業の経営資源であるヒト・モノ・カネと同じレベルで「意味」が求められている。


 

話を戻すと、辺境地である無人駅土合で「朝市」というイベントを企画したのは、過疎地におけるコミュニティ形成といったソーシャルイシューへの挑戦でもある。DOAI VILLAGEの運営会社VILLAGE INC.ではそれを「村づくり」と呼んでいたりもする。関東最北の廃れた無人駅の週末朝に数百人の人が押し寄せようとは誰が考えただろうか?しかし、この場でおいしい地のものとやさしい地のひとに触れ、都会にはないマイナスイオン高めの澄んだ空気を吸い、心地いいなあと実感することで精神的な豊かさを得ることができる。その実感は失われた物質的な豊かさを補い、ひいては人が集まることによるエネルギーは地域の元気に波及する。もともと何もないからこそ生まれる「意味」。


青山表参道で行う朝市と、無人駅で行う朝市ではその「意味」がまったく異なる。1を5にするのでなく、0を1にする活動であるから。無人駅を舞台にしていることが土合朝市の「パーパス」なのである。


豊かさの定義は昔と今で全く違うが、

便利さ≠豊かさ であることは間違いない。


この日、無人駅で出合う豊かさによって

何も要らないや、この場とこの時間があれば...

と感じていただければ幸いである。



ブランドパーパスにとって最も重要な要素は

「共感」なんだそう。



無人駅に行こう、豊かさへ合いに。



 

文:Kengo Shibusawa(GENRYU)

Comments


bottom of page