筆者は谷川連峰に抱かれた大自然に焦がれ、2018年春にみなかみへの移住を果たしたが、まさに家の改築や引っ越しの準備に追われるその頃、新聞等の紙面を華やかに飾る話題があった。
「みなかみユネスコエコパーク登録決定!」
今思うと幸いなことにその広報活動へ携わっていたこともあり、当時はまだ耳馴染みの薄かった「ユネスコエコパーク」の概要をさわりのみであるが知っていた。
●生物多様性の保護を目的に、国連の教育・文化分野の専門機関「ユネスコ」が世界各地で地域ごとに認定を行い登録される
●認定地域は世界で120か国669地域、うち国内はみなかみを含めて9地域 ※2021年2月現在は国内10地域
●正式名を「Biosphere Reserve(生物圏保存地域)=通称:BR」といい、海外では日本国内と比較にならないほどの知名度と認定を受けた地へのリスペクトがある
要約すると、世界が認めるほど貴重な自然環境が“ここみなかみにある”ということだ。
今でこそ、ここに暮らす人も観光で訪れる人も一度は見たり聞いたりしたことがあるであろう「みなかみユネスコエコパーク」。登録に至るまでのその道程は決して平坦なものではなかった。
気が遠くなるほど膨大な文献や資料を読み込み、中央省庁を含めた行政機関や民間団体とのコンセンサスを一つずつとっていく、それと同時にユネスコへ提出する百科事典のような申請書を作成していく...想像するだけでくらくらと眩暈がしそうなほどの仕事を役場職員として完遂させた人がいる。
お祭りの季節になると、三日三晩家を空けてしまうほどお祭りが大好き。神輿担ぎのほか、地元盆踊りの復活や三国太鼓といった地域の伝統文化の継承活動にも力を注いでいる。その人柄からも「粋」という字がよく似合う。
みなかみユネスコエコパーク登録へ向けた起こりを聞くため、小池さんの生まれ育った地であり、毎日欠かさず愛犬と散歩するという里山景観の美しい「たくみの里」を訪ねた。
地域内外の人が一つになれる受け皿として
「その気運が生まれたのは2012年に宮崎県綾町が登録された時だったね。」
2005年に新治村・水上町・月夜野町が合併されて現在のみなかみ町になる前より役場(旧新治村役場)の職員として従事していたが、環境問題については合併後もダム開発や山林開発・自然環境の観光資源化などに対する是非について意見が分かれており課題は山積だったという。その中で小池さんは役場職員としてその両者の話を聞きつつ、間を取り持ちながら事柄を進めるという役回りを担っていた。それが骨の折れる仕事であったことは想像に難くない。
そんな折、宮崎県綾町がユネスコエコパークに登録された話を人づてに聞き、現地視察と関係者へのヒアリングを行った。2012年のことである。
町は合併直後から『谷川連峰・水と森林防人宣言』や『みなかみ・水・「環境力」宣言』いったスローガンこそ打ち出してはいたものの、住民へなかなか浸透しきれずにいた。それを具現化する術として、また前段の森林や里山の開発に対する方向性を明確に示す指針としても「エコパーク登録はチャンスだ」と感じたという。
綾町から帰った小池さんは、早速上司と町長へ、みなかみ町としてエコパーク登録を目指すべしとの進言を行う。
「当時の町長から『小池君はお祭りが好きなんだから、頑張ってくれたまえ』ってよくわからない激励を受けてさ(笑)とりあえず承認されたわけだけど、ここからが大変だったなあ。」
国内での前例が希少であったため、海外の先進事例を収集し参照するにも英語で書かれた文献がほとんどで、訳すだけでもかなりの労力と時間を費やした。また、学術的視点の見解も必要となり、その世界で著名な学者の方にも直接会いに行き意見や教えを乞うたりもした。
そんな中、ある大学の教授から
「利根川の最初の一滴を生むというみなかみの水資源の豊かさは、世界でも稀なものだ」との証言を得るなど、エコパーク登録へ向けた手応えを次第につかんでいく。
そして2013年、小池さんを中心にしたプロジェクトメンバーはユネスコエコパーク登録に至るまでのロードマップを完成させる。
が、この春の人事異動で環境政策の現場から離れることに。
晴天の霹靂であったが、新しい部署では産業振興がメインとなるためエコパークには関われない。エコパーク登録への夢は後進へ委ねた。
「これが数奇なもんでね。」
当時の地方創生ブームが吹き荒れる前夜、全国的にも先駆けの方となる産業振興を目的とした総合戦略『まちづくりビジョン』を、小池さんが在籍していた部署で策定することとなる。
地域のキーマン、町議、町役場・観光協会職員、外部のアドバイザーなどから構成される『まちづくりビジョン策定委員会』のある会議の中で、事務方であった小池さんは、まちづくりの拠り所について意見を求められた。
前職場でエコパーク推進を担当していたこともあったので、
・世界規模で見ても稀で貴重な水と森林を有するまちであること
・それを未来へ守り伝えることが住民一人ひとりの使命であること
・世界へ自慢できるまちにしていかなければならないこと
・それらを叶えるものがユネスコが定めるエコパークであること
をその場で説明。
すると、「それいいね、やろう」と満場一致の賛同と共感を得る。
更なる産業振興のために、地域の自然環境を保全していこうと。
逆説的ではあるが、実に理に叶っていると言える。
地域における人の暮らしと営みを豊かにするためには、町外から多くの人に来訪してもらう必要がある。
魅力的な観光地として選んでもらうためには、独自の観光資源を磨き上げ、その魅力を効果的に発信する必要がある。
そのために、地域内外の人々が横断的に協力しあわなければならない。
それは、小池さんが当初より描いていたみなかみユネスコエコパークの理念と一致していた。
みなかみユネスコエコパークが掲げる理念
思い描いていたエコパーク推進の現場から離れたことが、結果的にそれを加速させることになったという偶然は、必然的であり運命的だ。
この時の「まちづくりビジョン策定委員会」における協議を通じて生まれたエコパークのコンセプトがこれである。
「利根川源流のまち、水と森林と人を育むユネスコエコパーク」
当初からの構想の中にあった「水と森林の育み」に、未来を担う子どもたちへという意味と同時に産業振興としての意も汲むことのできる「人の育み」が加えられた。環境と産業といった両軸の中心にいた小池さんだったからこそ結びつけることのできた重みのあるコンセプト。
また、役場としてもエコパーク登録へ向けてこれまで以上に注力していこうと
2014年7月1日、エコパーク推進室が発足。 ※その後2017年にエコパーク推進課へ格上げ
期せずして兼ねてからの念願であり使命であると感じていたエコパーク推進の最前線へ舞い戻ることとなる。以前と異なるのは、エコパークが今後のまちづくりビジョンの中核を為すことになったこと、それを応援する地域内外の多くの仲間が増えたこと、そして何より「登録を目指す」という行政として断固たる決意が示されていたこと。それらはどれも大きな追い風になった。
あとは登録へ向けて突き進むのみであった。
「あの時が一番痺れたな~(笑)」
と、当時を懐かしく振り返り語るのは、著名な学者や有識者がずらっと並ぶ席でみなかみ町がエコパーク登録を目指す理由や地域の概要についてプレゼンを行った場面のこと。最終的な登録可否を決定するパリのユネスコ本部で行われる審議の前に文部科学省が主導する分科会で国内推薦を得る必要があった。
「時間制限があって絶対オーバーしては駄目と聞いていたから事前に何度も何度もプレゼンの練習をしてね。この時は既に大きな期待を背負っていたから失敗するわけにはいかなかったよ。」
緊張と重圧で胃がキリキリする中、プレゼンに同席した先輩の心強い援護をもらいつつ、鋭い質疑を浴びながらも小池さんは何とかこれを乗り切り、世界への切符を手にする。
そうして迎えた2017年6月14日、パリより朗報がもたらされる。
足掛け5年にわたる悲願が遂に達成された瞬間であった。
都会に憧れた青年期
遡ること30年ほど前、旧新治村で生まれ育った小池さんは横浜の大学へ進学、後にも先にも地元を離れて暮らすことはこの時の他はない。
「当時の本音を言えば、まだ地元へ戻りたくはなかった。だけど、卒業したら戻るとの親父と交わした約束があったので。」
漠然とした憧れの中で都会へ出た。バブルがはじける前の煌びやかで刺激的な都会の日常は小池青年の心を釘付けにした。多くの友人や仲間にも恵まれた。その中で人知れず、淡い恋愛事情もあったのかもしれない。この話題を口にした時の小池さんの遠くを見る目が何かを物語っていたが、真意は不明なままにしておきたい。
「でもね、今は戻ってきて役場に入って本当によかったと思ってるんだよね。」
昔から比べ観光客が増えたことで、色々な方から景色がきれい・山が美しい・水がおいしい・人がやさしい...と地元みなかみのことを褒められる機会が増え、昔は地元よりも都会と思っていた気持ちは少しずつ逆転していく。
「そりゃ、自分が生まれ育った場所が褒められれば嬉しいからね。もっとみんなが自慢できるようなまちにしていかなくちゃと思うよ。」
小池さんにとって、ユネスコが、世界が、地元みなかみを認めるということは“褒められる”ということに近しい感覚なのかもしれない。決して容易くはないエコパーク登録という大きな壁に挑み続け、それを成し遂げるに至らせたモチベーションの源流はこの「自分が生まれ育ったまちを褒められたい・自慢したい」という想いなのであろう。
ー最後に質問です。小池さんにとって「みなかみユネスコエコパーク」を一言で表すと何ですか?
「誇り。かな」
エコパーク登録に際し、町の職員として貢献できたことに誇りを感じていると言う。
「先日も、中学生の娘が『少年の主張』で、父の仕事とエコパークのことを題材にしてくれていて、おれが父親の背中を見て育ったように、おれも少しは親の背中を見せられているのかなと、嬉しかったなあ。」
子供に対して背中で語れる親であれというのは、少々古い考え方であるのかもしれないが、幼い子を持つ筆者もこれには強く共感する。自分の仕事を地域社会への貢献という形で子に見せることができたとしたら親として、また仕事人として冥利に尽きる。そのためだけに頑張ることもできる。
「自分にも、もっと自慢したいんだよね。このまちのことを。」
晴れて、みなかみ町がユネスコエコパークとして登録され、地元の自然環境が世界から認められたことで、それを未来へ守り伝えていこうという意識が住民一人ひとりに芽吹いたことについて、5年もの歳月をかけて奮闘した小池さんの功績は小さくない。
今回の取材を通じて思ったことがある。
改めてこのまちに移住してきてよかったと。
ここまでひた向きに地域と向き合ってくれる人が役場にいるまちの一員になれて本当によかったと。
住民として新米であるが、このまちのことを自慢したいと思っている。
世界にも、自分の子どもたちにも自慢したいと思えている。
文・編集:Kengo Shibusawa
写真:Azusa Nakajima
取材日:2021.2.14
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