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  • Kengo.S

無人駅で朝食を


 ソースがやや不確かであるが、昨年秋か冬の新聞記事で「無人駅が全国駅の半数近くに」という見出しを目にした記憶がある。社会全体の人口減少と地方の急激な過疎化、それに伴う鉄道会社の経済合理性を考えれば、過ぎゆく時を止められないのと同じに仕方のないことなのであろう。時代は利便性や生産性重視の方角へ向けて我々を乗せて流れている。


失うものあれば得るものがあるで、秘境や辺境、人が寄り付かない集まらない場にこそ光があるという旗を掲げて日本全国に“村”を作り続けている集団がVILLAGE INC.だ。谷川岳の麓の山深くに位置する土合駅に併設された無人駅グランピング施設『DOAI VILLAGE』の運営会社である。


VILLAGE INC.代表の橋村さんは「無人駅は宝の山」だという。世の中が利便性や生産性を追い求め大きな大陸プレートに乗ってずりずりと動けば動くほど、大地の裂け目から地底の奥深くに眠るイノベーションの光が顔を出すというイメージだ。実際のところ、僻地の何もない場所に身を置くと好奇心や冒険心を掻き立てられるし、雄大な自然環境を目の前にして得られる開放感は掛け値なしに素晴らしい。



 利便性や生産性の対義語は何だろうか。利便性→不便、生産性→無駄といったところか。

穿った見方をすれば、このコロナ禍は時代を急速に早送りさせていると言える。まさかこんなにも早く“テレワーク”が市民権を得ることや、地方移住のニーズがこれほどまで高まるとは思っていなかった。時代は、都会から田舎へ舵を切り始め、何でもあるから何もないを求め始めている...気がする。


別に無駄はないが不便の極みとも言える山奥の無人駅で、しかも朝に、人に集まってもらうイベントを企画したのは、ローカルにおける潤いとも言える人気あるお店の求心力や引力と不便さを秤にかけて、やっぱそうだよねと確認したかったからでもある。たくさんの方がこの不便な場を楽しんでいる様子を。


無人駅で土地の豊かさと出合う「土合朝市」


何もないところに身を置いてみる、そこで人に会い、地のものをいただき、豊かな自然の中で豊かな時間を過ごす。最高の贅沢。



「東京へ遊びにいく」より、「無人駅へ朝食を食べにいく」の方が語感からしてもワクワクしませんか?このワクワクが紛れもない豊かさの証拠です。


当日は少々ご不便をおかけしますが、是非とも土合駅へお出かけください。



無人駅で朝食を 召しあがれ。




 

文:Kengo Shibusawa(GENRYU)

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