【GENRYU】奇跡といわれるお米ができるまで

 日本一の米どころというと新潟県魚沼地区を連想するが、日本一のお米はみなかみ町にある。「利根川源流みなかみ極上米『水月夜』」だ。


食味値とはお米のおいしさを示す数値で、お米に含まれる水分・タンパク質・アミロース・脂肪酸を測定するものであるが、通常の国産米で65~75点のところ、86点以上の数値を出したお米だけを厳選したものを「水月夜」と認定している。この基準は全国のブランド米の中でも最も厳しい基準である。プロの料理人をも唸らせる圧倒的な甘みと香り、冷めてもおいしく、温めなおしても尚おいしい。艶やかに輝くさまはまさに宝物のようなお米。



数多のお米のコンクールでは軒並み最高賞を受賞。おいしさへの飽くなき探求を続ける「水月夜」生産者の本多義光さんは、革命児であり巨匠、お米界のスピルバーグだ。


―どうして、みなかみ町で日本一といわれるお米をつくることができるのか?


その理由を知るため、2020年も残りわずか冬至の夕暮れ時にみなかみ町新治地区にある本多さんの田んぼを訪ねた。



ちょうどいもが焼けたから食ってきない?


巨匠に対して屈託のない愛嬌ある笑顔と表現するのも失礼な話だが、本多さんの笑顔はまさにそれ。本多さんに優しく話しかけられると誰もの心がほぐれる。


田んぼに面したご自宅の隣、貯蔵庫らしき場所へ案内されると、何かを燻しているようで、白い煙に目と鼻がツンとなる。


籾殻から炭をつくってるところ、燻炭と言ってね


燻炭とは稲を丈夫に育てるために、田んぼに散布する、いわば肥料の役目を果たすものである。本当においしい食物を栽培するためには、化学的なものはなるべく使わず、昔ながらの方法で自然界の力に頼るのが一番と語る本多さん。この燻炭はご自分の田んぼで使用するほか、地域内外農家への出荷も行っている。


3人の社員を抱えてるもんで、冬の間もなにか仕事しねぇと、給料払えねえからさ。


心地よい熱を放つ灰色に燻された籾殻の中にごそごそと手を突っ込み、何かを取り出すとアルミホイルの塊を手渡してくれた。



ほれ。


あつあつの包みをほどくと、如何にもおいしそうないい色に焼けたさつまいも。二つに割ってみると、またまたおいしそうないい色といい香り。ちぎって口に含むとあまりの甘さでほふっと顔がほころぶ。


炭の中でじっくりと焼くからちょうどよくなるのかもしれねえなあ。


ここ数年覚えている中で一番においしい焼きいもであった。最寄りのスーパーで売っていたら行くたびに迷わず買う。必ず買うだろう。




さあ、さんみいから中はいるんべえ。



本多さんの奥様が入れてくださったお茶を片手にうますぎる焼いもを頬張りながら、本多さんの米づくりの源流についてうかがった。


田んぼや畑をはじめたのは小学校5年生の頃。いまから60年前くらいか。


場所は現在と同じみなかみ町新治地区(旧新治村)。お前は長男で家業の農家を継ぐのだから、勉強なんかしなっといい(しなくていい)と親戚からも言われ、学業よりも家業を優先。小学生にして田んぼでトラクターを日夜運転していたという。


そりゃ、まわりの子供はみんな遊んでいたからね、おれも遊びたかったけどしかたねえ。


10歳でお父さんを病気で亡くされ、祖父母とお母さんとともに農家を切り盛りしていた。

時は昭和30年代初頭の頃である。生活は決して豊かとはいえないものだった。


まわりに育てられたから。子供の時から親戚や近所の人に恵まれて教えてもらい育ててもらったから、ありがてえ話だよ。その時の恩を忘れず、まわりを手伝いたい。今もそう思ってる。


本多さんが経営する農を生業にする会社の名は「アグリサポート有限会社」。まわりの農家の役に立ちたい。そのような想いが込められている。


余談であるが、「米づくりの達人 本多義光」を語る際の逸話として有名なのは下記のものである。


お米のコンクールで入賞を重ねる本多さんの元へ、新潟県は稲作の本場から米農家の団体がおいしいお米をつくるヒントを請いに来たことがあった。その際、本多さんはいとも簡単に且つ丁寧にその方法と秘訣を教えた。その後その教えを実践した新潟米は高い食味値を出すようになったという。その時の本多さんの心情もこの社名に由来するものであったことは想像に難くない。

20歳代前半までは、お米づくりではなくトマトやイチゴの栽培がメインであったというのは意外である。


米づくりは手間がかかるから、できればあんまりやりたくなかった。


その頃、本多さんの田んぼがある地区では高齢化が一気に進み、農業を営むことが難しくなった農家がいくつもあった。耕作放棄地にしたら土も地域そのものも駄目になってしまう…そのような思いからこういった農家と農作業委託契約を結び、地主に代わって本多さんが作物の栽培を手掛けることが多くなった。


だけど、あの頃は減反の真っただ中でなあ。


減反とは当時の日本国政府が推進していた米の生産調整を行う農業政策のことである(2018年に廃止になったとされている)。米の生産を抑える代わりに、政府は補助金で農家を支援した。いつの時代も公的な補助金は時として誇りや情熱を失わせる。当時の稲作農家のほとんどは減反政策に賛同する形で生産高は減り、よい米をたくさん作り、たくさん売ろうといった熱意は次第に薄れていった。


ありゃあ、駄目だよ。先祖代々から受け継いだ稲作文化が滅んじまう。米の価値が下がっちまうんだよ。


本多さんは、当時から減反政策に反対の立場で、田んぼを増やし、生産高を増やしていた。農業経営の最大のコストとされるのは一台数百万円〜一千万円もするトラクターやコンバインなどの作業機械の購入と維持であるが、減反政策に従わないと補助金を得ることができない。つまり、多大なコストは純粋に米の売上から割り当てなければならなかった。本多さんは米づくりを継続するべく、米の価値(売価)を上げる方法を必死に模索し続けた。それは、子供の頃から抱いていたまわりに恩返しをしたいという信念の具現化、また稲作農家本来の自立する姿・誇りをもって米と向き合う姿と重なったのである。


そんな中、全国各地ではブランド米の気運が高まっていた。ブランド米とは、栽培から保管・流通を一貫して拘ることで高付加価値のついた高品質米のことである。本多さんは、これだ!と思ったという。


元々、米づくりには自信があった。また、稲作に長年携わってきた知見からみなかみという土地は米づくりに最も適した地であるという確証もあった。谷川連峰から流れ出る冷たく清らかな水、昼夜の寒暖差、厳しい冬の気象条件。それに積み重ねた本多さん独自の稲作法を加味してブランド米のコンクールに出品するようになり、数多の栄冠を得ることになるのである。


こうして生まれたのがみなかみ町の誇るブランド米「水月夜」であった。


現在は水月夜生産組合という団体を立ち上げ、地域で面として高品質な米づくりに取り組んでいる。前出の厳しい基準をクリアして「水月夜」と名乗れる米を出荷することのできる農家は30軒の加盟農家のうち10軒ほどであるという。基準は依然として厳しい。一方でそれがブランドの保持にもなっている。


農家は質。量で勝負しようと思ったら駄目だ、質にこだわらないと。

質の良いものをつくって、それなりの対価で売る。


それが、農家の持続可能性だよ。



極上と称される米づくりの秘訣を尋ねると、本多さんはこう答えた。


やっぱ、水だ。それと豊かな自然。



さいごに筆者は恐れ多くも60年に亘る農業人生を総括する言葉は何かと聞いてみた。




幸せを掴む力を培うこと





忙しい年末に時間をとっていただいた御礼を述べ、帰途につこうとすると、


あ、そうそう。いも、奥さんと子供たちの分も持っていきな。


人を気遣い、自然を愛するやさしさと、米農家としての誇りが日本一のお米をつくり続ける最大の秘訣なのだと感じた。



information

本多さんの作ったお米「水月夜」は、群馬県みなかみ町へのふるさと納税返礼品としてもご利用いただけます。


購入はこちらでできます https://www.tsunagi-japan.co.jp/products/detail.php?product_id=108


文・写真・編集:Kengo Shibusawa